🪜 SADARI

ギャンブラーの誤謬と無作為の錯覚

SADARI コラム · 2026年7月

コインが5回続けて表を出した。もう裏が出る「番」では?ほとんどの人がそう感じる。だが確率は冷静に答える ── いまだにきっかり半々だ。

人の直感は、驚くほど頻繁に無作為を読み違える。その誤りは名前がつくほど普遍的だ。代表的な3つを見てみよう。

ギャンブラーの誤謬

ギャンブラーの誤謬とは、「過去の結果が次の結果に影響する」と信じる錯覚だ。コインに記憶はない。表が5回出ても、6回目が表である確率は変わらず1/2。各試行は互いに独立だからだ。1913年、モンテカルロのルーレットで黒が26回連続で出たとき、群衆は「次こそ赤の番」と大金を賭けて失った。この誤謬の代表例として今も語り継がれている。

ホットハンドの錯覚

反対方向の誤りもある。ホットハンドの錯覚は「好調の流れは続く」と信じることだ。バスケ選手が数回続けて決めると「今は手が熱い」と次も入ると期待する。独立な無作為では、「流れ」そのものが多くの場合錯覚だ。ギャンブラーの誤謬とホットハンドは正反対に見えるが、どちらも無作為に存在しないパターンを読み取ろうとする同じ根から生まれる。

クラスター錯覚

人は本物の無作為が「均等に散らばる」と期待する。だが本物の無作為はむしろ塊に見える。コインを100回投げれば、同じ面が5〜6回続く区間が自然に現れる。この塊(クラスター)を見て「何かおかしい」と感じるのがクラスター錯覚だ。きれいに交互に出る結果のほうが、むしろ人為的なのだ。

では抽選は?

この3つを知ると、公平な抽選への態度が変わる。あみだくじで同じ人が続けて当たっても、ルーレットで似た位置が繰り返されても、それは不正ではなく無作為の自然な顔だ。各回は過去と無関係に独立して、そして公平に行われる。「今度は自分の番」という感覚は心の錯覚にすぎない ── 確率に「番」はない。

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